1.由緒・社殿

由緒・神社史

【祭  神】 天照大御神(あまてらすおおみかみ)

【御神徳】

広大無遍にして天日の如く万物に光を与え賜い、すべてを生かし睦まじき心を持って相ゆるしたもう。   明鏡の如く天地の万象を大小もらさずご照覧あそばされ、真の心をもって信仰する者には真の恵をあたえたもう。

【歴 史】

御創建は大変古く不祥です。山口神明社または赤塚神明社とよばれており、山口(城下東部)一体の総産土神でありました。

城下が創られ、赤塚町が創建されるにあたり元和2年(1616年)、町民によって赤塚町の氏神となり、寛永5年(1628年)には、殿舎が整いました。幕末まで何度かの遷宮の記録が残っています。
昭和20年(1945年)の戦災により大部分の社殿が消失しました。また昭和25年(1950年)名古屋市の都市計画によって、境内地の三分の二が国道19号線になり縮小されることとなり社殿を再建し、鳥居・燈籠などを移築しました。
平成19年、不審火による火災により社殿および神輿が全焼しましたが、平成20年に現在の社殿が再建されました。

境内には、合祀された七末社のほか、慶應3年(1867年)に尾張藩の勤王の志士が建てた楠正成像、昭和3年(1928年)11月の御大典記念に奉納された大鳥居と東区最大の大燈籠一対のほか、保存樹に指定された見事なケヤキとクスノキがあります。
茶人古田織部作と伝えられるキリシタン燈籠もあります。

元和2年 1616年  この土地に古くからあった神明社を近郷一帯の総氏神として尊祟するようになる

寛永5年 1628年  名古屋城下町の発展に伴い、根本的に再建され堂々たる風格の神社となる

寛文6年 1666年  尾張八社家の一社となる

享保4年 1719年  お御輿制作(後に名古屋市文化財に指定される)

天明2年 1782年  神明宮祭文殿を御造営

嘉永4年 1851年     大曽根村より山神社(名古屋城鬼門鎮護の神)を遷宮

慶応3年 1867年  湊川神社御創建

明治12年  1879年    名古屋八郷社の一社に指定される

明治4年 1871年    中区袋町より豊臣秀吉ゆかりの出世天満宮を遷宮

昭和20年  1945年     戦災により大部分を焼失

昭和25年  1950年     道路拡幅により境内地が約3分の1に縮小される 本殿を再建し、天神社、八幡社、須佐之男神社などを移築

昭和40年  1965年    6級社に昇格 お御輿1基と関連古文書が名古屋市文化財に指定される

平成19年   2007年 1月23日   早朝に出火、本殿とお御輿を全焼 本殿、社務所を再建及び境内地を全面改修

平成20年   2008年 3月29日   社殿御造営竣工記念奉祝祭を盛大に催行 259名の稚児行列も同時に催行

神 殿

神 殿

神旗と奉賛会員様の御献灯

拝殿の東側で、神殿から順に 日像旗・萬歳旗・日像旗・青龍・朱雀
青龍は金気を吸い寄せ、商売繁盛・巨万の富の象徴
朱雀は大きな翼で悪を払い平安と福を招く象徴  
拝殿の西側で、神殿から順に 月像旗・萬歳旗・月像旗・玄武(亀と蛇)・ 白虎
玄武は亀と蛇を一つにした神獣で繁栄と長寿の象徴
白虎は金運や商売繫盛を司り悪霊退散の象徴   

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