5月, 2010Archive for

キリシタン灯篭

千利休亡き後、天下一の茶人になった古田織部(1544~1615年)。名古屋城築城後、数奇屋普請を行った時、加藤図書助の館に滞在。その当時、好んで造らせた織部燈篭が、名古屋城の猿面茶席や神戸文左エ門の庭にあったことが、江戸時代の随筆に出ている。十字架をデフォルメしたようにも見えるこの燈篭は、脚部に地蔵のような像を浮き彫り、隠れキリシタンがひそかに拝んだ「マリア観音」とも言われるが、諸説紛々。織部愛好の燈篭として後年の模作が山ほどある。赤塚神明社に一基あるが真偽は別にして間違いなくキリシタン燈篭である。一部分修繕してあるが社務所裏に立っている。

蕃塀に付いて

神明社の蕃塀は、第2次世界大戦にて境内の構築物(神殿・拝殿・神楽殿・蕃塀等)とともに焼失致しました。 昭和25年に神殿・拝殿・神楽殿再建の折に合わせて蕃塀も再建されました。 平成19年に神殿・拝殿・社務所の再建の折に蕃塀はこの折に傷んだ屋根の葺きかえをおこない、本来の檜の美しさがかもし出されました。現在数少ない木造の蕃塀です。東区内唯一の蕃塀です

東区の伝説から

神様といえば、多くの人は神社を思い浮かべるはずです。「神社は神様のいるところ」という感覚は、生活の中に自然に溶け込んでいる。では、どういう神様が祀られているのかということについては案外知らない人が多いのではないだろうか?別に不都合なことはないし、名前なんか知らなくとも、神様の存在を感じられることが大事といえばそれまでのことで、それでもいいと思うのだが文化的にはさみしい話である。 ここ神明社にお祀りしてある天神社の伝説を!<名古屋区史シリーズ東区の歴史>から原文のまま”あの人形がほしい”山口町の神明社の話だけどえも。子供のころの豊臣秀吉が、地元中村の日の宮神社の祭礼の時に、露店で母に買ってもらった人形は、泥で作った天神様だったと。(天神様のように偉い人になろう。)と思って育ち、後に、太閤秀吉になったわなも。その人形が、回り回ってここの天神社の御神体におさまっとるぜぇも。 注 学問の神様菅原道真と、天下統一の夢を果たした秀吉の二人に関連する伝説。道真は神童といわれ、道真を形どった人形は、出世人形とか呼ばれ、天神としてあがめられた。